2⃣ 効かなくなったホルモン剤そして娘のアトピー性皮膚炎の悪化 

フェマーラを飲み始めて半年、幸い副作用は少し気が滅入る程度の
もので、目立った苦しさもなくもしかしたらこのまま寛解できるのではないか?などと、
夢を見始めていた冬の終わり・・・病院で受ける血液検査のマーカー値が癌の悪化を示す
ように少しづつ上がり始めました。
「薬効が切れ始めましたたね。。次の薬をためしますか?」
主治医が全く予想内のことだとでもいうように、次の薬を紹介しださった。

こうして、次の薬に次々と移っていって、最後は効く薬がなくなって死ぬのが癌という病・・・
どこかで読んだ本の解説が頭によぎりました。
「副作用は、前の薬よりも強いかもしれませんが、最低限の処置として必要です。」
それはフルベストラント 
というステロイドのホルモン剤筋肉注射でした。

「その薬の薬効は、どのくらい持つのでしょうか?」
「個人差ですからなんとも言えませんが、少なくとも半年以上は。あなたの場合副作用
 の問題もあるかもしれません。」
その後は?と、聞きたい気持ちを飲みこんで、最初の注射を受け、家路を急ぎました。

「ママ、体がね、めちゃくちゃ痒い」
家のつくと保育園から帰った娘は、肘と膝の裏を狂ったようにかきむしっておりました。
連絡ノートにはステロイド剤をぬったけれど、一日収まることのない娘の皮膚の痒みの
ことが保育士さんの丁寧な言葉で書かれてありました。
2歳半でアトピー性皮膚炎と診断された娘は、顔以外の全身が赤い湿疹に覆われ、処方
されたステロイド軟こうを塗るもの、症状はいつも一進一退を繰り返しているのでした。
私達夫婦は、車で1.5時間以内で通える皮膚科にはすべて、
もう相談しつくしていました。

一晩中、体を搔きむしる娘を抱きしめなだめる長い夜が明ける頃、朦朧とした頭の中で
「日本がだめなら世界があるさ・・・」
と声が聞こえたような気がしました。
次の朝に夫が決心したように、私に告げてくれたのは。
「結婚する時に言えなかった。僕は若い頃アトピー性皮膚炎だった。3年間仕事も中断した
こともあるほどの重度の症状に苦しんた。でも何年も苦しんだ後、アーユルベーダの知識も
持った西洋医学の医師に4か月で完治に導いてもらった。」と。

「日本から一番近いアーユルベーダの大きな病院は?」
「マレーシアにある。」
「英語?なら私が娘を連れてそこにきます。そして調べられるだけの知識を得てきます。」
「私が今乳がんに使っているホルモン剤は半年も持たないかもしれない。
 コロナで便数が減っている中、病気休暇で時間もとれる。この先もう海外に出られる機会
はもう私にはないかもしれない。今ならだま体力が残ってる。
母親としてできることは全部やろう・・・
主治医の許可を得て、自分の中では娘と最初と最後となるかもしれない海外旅行の準備を始
めたのでした。

 2020年 2月末、私は娘を抱いてマレーシアにおりたちました。 

 丸ごとマンゴーのおやつにはしゃぐ娘と常温の薄味の食事、毎日の錠剤と呑むミネラル
オイル2,3日に一度の医師の診察。毎日のブール浴とその後のオイルマッサージ。
ヨガとストレッチで2週間を過ごした後、医師の診断は娘にはプロバイオティクスなどの
腸環境の改善と皮膚の清浄保湿。私には食事の管理と運動、呼吸、アシュワガンダなど
サプリメントをベースにした体質改善の必要性でした。。。
 

 医師が推薦した薬剤の多くは日本では入手が困難なもので、闘病用の貯金を下ろして
ここに来た意味はあったのだろうか・・・不安の中でも、食物が体を作るという思想は私の
心に深く染み込み、いつしか小さな希望に変わっておりました。旅の終わり頃、
「日本には優秀な遅延性食物アレルギー検査がありますよ。」
と教えてくれた医師の言葉は、コロナで国境が封鎖される前に、治療を途中で切り上げ
ざるを得なかった私と娘にも次の確かな希望をつないでくれたのでした。
 
 遅延性アレルギー検査


 ただ、この後、娘は改善に向かうものの、私の乳癌は悪化癌マーカーは急激に高くなっ
 ていきました。